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長崎地方裁判所 昭和42年(ワ)455号 判決 1969年5月16日

原告 井手雪雄

被告 国

訴訟代理人 河津圭一 外六名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告

「被告は原告に対し金四六二〇万円およびこれに対する昭和四二年九月四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言。

二、被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決並びに敗訴の場合の仮執行免脱の宣言。

第二、原告の請求原因の要旨

一、原告は、昭和一九年七月二三日、国家総動員法に基づき、その所有する機帆船興隆丸(船鑑札番号第七〇〇四号、総屯数一九・三一屯、五〇馬力、船籍港長崎市)を被告(旧若松海軍施設部)に徴傭され、その際、被告(旧若松海軍施設部)との間で次のとおり傭船契約を締結した。

(一)  原告は船長以下乗組員を充足して興隆丸を若松港に回航して若松海軍施設部に引渡す。

(二)  若松海軍施設部は興隆丸を任意に使用し、原告に対し、重量屯一屯当り月額金二〇余円を支払う。

(三)  傭船期間は乗組員充足の日から退船の日までとする。

二、原告は右傭船契約に基づいて興隆丸を被告(旧若松海軍施設部)に引渡し被告は興隆丸を石炭の運搬に使用していたところ、昭和一九年九月一七日周防灘において暴風雨のため沈没した。

三、そこで、原告は昭和二〇年五月ごろ、被告(旧海軍省)に対し興隆丸の代替船の無償払下げ方を申請したところ、被告(旧内務省)は昭和二一年二月二七日これを承諾した、したがつて、被告(旧内務省)は原告に対しおそくとも一両年内に右代替船を無償で払下げるべきであつたにもかかわらず、右払下げをしなかつた。そのため、原告は次のとおりの損害をこうむつた。

(一)  代替船建造費相当額金二六三五万円

(二)  逸失利益金一八〇〇万円(昭和二二年一月一日以降二〇年間分)

原告は昭和二一年中に代替船の払下げを受けていれば以後毎年少なくとも金九〇万円を下らない純利益を得ることができたが、右払下げを受けられなかつたために右得べかりし利益を失つた。

(三)  慰籍料金三〇〇万円

四、仮に、原告と被告(旧内務省)との間で代替船の無償払下げの約定がなかつたとしても、原告は興隆丸の沈没により前項に記載と同額の損害をこうむつた。

五、よつて、原告は被告に対し三項の(一)のうち金二、五二〇万円および同(二)、(三)の合計金四、六二〇万円およびこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四二年九月四日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因事実に対する被告の答弁および抗弁<省略>

理由

<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すると、請求原因一、二の各事実を認めるに難くない。もつとも、<証拠省略>によると、終戦後厚生省援護局に保管されていた徴傭船舶関係書類ならびに徴傭船舶名簿には前記興隆丸の名前が記載されていないことが認められるが、終戦前後のころの困乱した国内情勢などを考えると右書類に記載されていないとの一事をもつて直ちに興隆丸の徴傭の事実を否定する資料とはなし難く、他には前記認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、原告と被告(旧内務省)との間で興隆丸の代替船の無償払下げの約定ができたかどうかについて判断するに、<証拠省略>を併せ考えると、右は原告から昭和二一年二月一四日付内務大臣宛て、また昭和二三年三月一五日付運輸省宛ていずれも旧軍所有の機帆船の払下げの申請がなされたのに対し、当時、旧陸海軍所有の機帆船の払下げ事務は中央の所管ではなく、右事務は地方行政事務局長を委員長、地方海運局長および地方財務局長を副委員長とし、関係機関、民間団体の代表者を委員とする船舶および海運器材関係地方処理専問委員会の所管とされていたところから、原告の申請を受けた内務省および運輸省から門司海運局長、九州海運局に対し原告より右申請のあつた旨を通知するとともにこれを移牒したものに過ぎないことが明らかであり、他には原告主張のような払下げの約定を認めるべき証拠は何もない。

そこでさらに、原告は興隆丸の沈没によつて損害をこうむつたのでこれが賠償を求めるというのでこの点について判断するに、さきに認定したとおり原告所有の興隆丸は被告(旧若松海軍施設部)に徴傭され被告のために運航中沈没したものであるから、原告は右沈没により興隆丸の返還を受けられなくなり、そのため損害(その額についてはともかく)を受けたことは明らかである。したがつて、原告は被告に対し右損害賠償請求権(額についてはさておき)を取得したというべきである。

ところで、昭和二一年一〇月三〇日に戦時補償特別措置法(昭和二一年一〇月一九日法律第三八号)が施行され、政府に対する請求権で弁済期が昭和二〇年八月一五日以前のもので同日以前に決済のなかつたものは政府の通常の業務に関して生じたものでない限り、これを戦時補償請求権とし(同法第一条一項一号)、同法施行の際現に金銭の給付を目的とする戦時補償請求権を有するものは戦時補償特別税を課せられ(同法第二条)、右戦時補償請求権については、昭和二一年一二月一四日までに課税価額その他必要事項を記載した申告書を政府に提出することを要し(同法第一四条、同法施行規則第二五条、昭和二一年一一月二八日勅令第五七八号戦時補償特別措置法施行規則の一部を改正する勅令)、右申告期限内に申告書の提出のなかつた場合は右請求権は全額課税価額として戦時補償特別税が賦課されるものであり(同法第一〇条、第一一条、第一三条)、しかも右申告期限の経過したときにおいて右請求権は消滅し、その消滅と同時に戦時補償特別税の納付があつたものとされることになつた(同法第一七条)。これを本件についてみるに、さきに認定したとおり興隆丸は昭和一九年九月一七日沈没したものであるから、原告は同日被告に対し右沈没によつて生じた損害賠償請求権を取得したものであり、現在まで決済のなされていないことは本件弁論の経過により明らかである。しかして、右請求権は戦時補償特別措置法第一条一項但書、同法施行規則第六条所定のものに該当しないから通常の業務によつて生じた請求権でないことは明らかであり、従つて原告の右請求権は同法第一条一項一号所定の戦時補償請求権であるというべきところ、原告が昭和二一年一二月一四日の申告期限までに所要の事項を記載した申告書を提出しなかつたことは当事者間に争いがないのであるから、原告の被告に対する右損害賠償請求権は同日の経過により全部消滅したものといわなければならない。

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であるので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 右川亮平 小林昇一 武部吉昭)

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